みなさま、こんにちは。
文化財構造計画の冨永です。
今回は、文化財建造物の心に与える影響について書いてみたいと思います。
次の会話は、臨床心理士である友人と久しぶりに会って話をしたときのものです。
友人「冨永は何の仕事をしているねん。」
冨永「文化財とか古い建物を地震から守るための補強の設計とかしてるんや。」
友人「それはええ仕事やなあ。おれらの仕事も文化財とかないと困るわ。」
冨永「?。何でやねん?」
友人「人は自分が属するものがないと不安定になるんや。民族や地域、組織などのコミュニティがないと、「自分」のアイデンティティが不安定になるんや。古い建物というのは、そういう所属するコミュニティの象徴になっていることが多いので、その建物を介して自分がコミュニティに属していることを確認できるんや。」
冨永「そんな大層なもんなん?」
友人「そうや。古い建物や町並みなどは、変わらずにありつづけるからこそコミュニティの象徴になるんや。そういった記憶やアイデンティティの依り代となる建物がないと「自分」の基軸が定まらないので、カウンセリングもやりにくくなるんや。」
冨永「 所属するコミュニティが、個に影響を及ぼすんやな。」
友人「たとえば、被征服民族の男性の多くはアル中になるという説があるらしいで。それは、所属するコミュニティが支配を受けると、アイデンティティがおとしめられることによるんとちゃうかな。所属コミュニティのような確固とした背景となるものがないと、カウンセリングみたいな「自分」にものさしの基点を作るような近代的な自我の確立とかの作業は難しくなるわ。第一次大戦敗戦後のドイツみたいに、国が荒廃した反動で全体主義に走ったりとかね。」
私はこの話を聞いてとても新鮮でした。文化財建造物が民族や社会において大切なものであることは認識していましたが、これほど個人の心に直接影響しているものとは思っていませんでした。 確かに言われてみれば、自分の習慣や物の考え方は、育ってきた自国の文化、周囲の環境や社会から影響によってできあがっています。それらを象徴するものが何もなくなってしまったり、否定されてしまっては、確かに自分を説明することができなくなってしまうような気がします。
姫路市の方から聞いた話ですが、太平洋戦争から引き上げて来た人たちが姫路城の天守を見て、戦災で燃えることなく残っていることにとても勇気づけられたそうです。古い建物というものは、そこに在るだけで、いや在り続けたがゆえに人の心に影響を及ぼしているのでしょう。
「文化財が貴重な国民的財産である」という文言が文化財保護法にでてきますが、それはただ単に物質的な財産というのではなく、国や民族のアイデンティティを確立するために必要な財産だと考えることができます。そういう見方でみれば、文化財というのは、国民の個人個人にとって本当に重要な財産なのだと改めて思いました。
ものというのは、見方ひとつで大きく変わるものですね。
では、今回はこの辺で。
国宝 姫路城大天守 /兵庫県
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