みなさん、こんにちは。
文化財構造計画の冨永です。
最近、某大臣から「学芸員はがん」という発言がありました。私は文化財建造物に対する設計者の立場ですが、矛先は、学芸員さんだけでなく、こちらを向いているように感じました。問題になっているのは建造物の使い方ですので、まさに文化財建造物の活用の問題です。
文化財において「○○をしてはいけない」というのはよくある話です。だから文化財は、不便だということになります。そこで議論を止めるのではなく、もう一歩踏み出して考えてみましょう。
まず、してはいけない理由は何でしょうか。文化財が火事になると怖いので火は使えない。水をこぼすと汚れるので使えない。人が入ると傷むので立ち入り禁止。フラッシュをつけると物が劣化するのでフラッシュは使用禁止。危ないから立ち入り禁止。建物を改造すると価値がなくなるので改造禁止。あとは何でしょうかね。してはいけない行為にはそれなりに理由があるはず。その理由を考えるのがまず第一ですね。
次に本当にその○○をその場所でしなければいけないのか。その文化財に与えるリスクと行為を天秤にかける必要があります。できないと言われるとしたくなりますが、本当にそこでやることで文化財との相乗効果があるのか。よく考えてみましょう。
また、地震や火事などの防災上の理由は、災害がなければその必要性が感じられませんが、実際必要なときには手遅れになります。熊本の地震、新潟の火災など、つい最近でも災害の被害は確実にあります。無視することはできないと思います。
どうしても使いたいのであれば、文化財に影響を与えないよう対策を講じる。すぐ消火できるように準備しておく、人を配置して傷むような使い方をさせない。耐震補強をする。防災設備をつける。人と文化財を傷めるリスクを最小限にする配慮は、当然必要です。
一方で確かにとにかく絶対だめだという人はいます。それはなぜか。愛が強すぎるのか、責任を取りたくないのか。そういう人は文化財愛をこじらせていたり、文化財愛よりも自己愛が強い人のように思いますが、どうでしょう。
ただ、自由に使えないから不便だと言い放つのは、少し傲慢ではないですかね。手順をふんできちんと考えれば、解決策はそれなりにあるような気がします。
文化財を管理する人たちは、基本的にそれを大切にしている人たちです。「文化財は不自由だ」といって対立するのではなく、敬意と配慮を持って接することで、ともに活かす道を探るようにするのがよいのではないでしょうか。
自分が何かをしたいその瞬間を考えるのではなく、これからの将来にずっと価値を伝える文化財の時間を思ってから、使い方を考えてはどうでしょうか。
その時点の政治的対立のために人類全体の財産を汚すなど、甚だしく邪道な行為だと思います。
では、また。