みなさま、こんにちは。
文化財構造計画の冨永です。
今回は、前回に引き続き、構造補強めがね論について書いていこうと思います。
前回は、文化財建造物の構造補強の考え方について説明を致しました。簡単に振り返りますと、文化財建造物の構造補強方法を決定する際には、文化財的価値を損ねないようにするため、意匠性・歴史性・可逆性・区別性について検討した上で、文化財的価値の優先順位を考慮するということでしたね。
では、それらがめがねとどう繋がるのかをお話したいと思います。
めがねとは、みなさまもご存じのとおり、視力を補うために目の周辺に装着する器具です。防護メガネやサングラスなどもありますが、ここでは視力を補うためのめがねを想定してください。
では、めがねによって視力を補う理由は何か。それは、視力を補うことでより快適な生活を営むためかと思います。一方、構造補強とは建物の耐震性などの構造的な問題を補うために行うものです。構造補強を行うことで安全性を確保でき、社会において安心して建物を使うことができます。
このように、めがねと構造補強は、社会生活を営むためにある機能を補助するという点で同じものになります。
また、意匠性や可逆性が求められる点についても、めがねは構造補強と同じ特徴を持っています。
めがねにおいても、意匠性はとても重要です。社会生活を楽しむためには、似合うめがねをかけることは大切です。めがねをかける顔がいやな人は、コンタクトレンズにして顔が変わらないようにすることもできます。
構造補強では、コンタクトレンズのように見えないことが理想なのでしょうが、すべてがそういう補強になるわけではありません。補強が見えてしまう場合には、その意匠に配慮することも重要となります。
それに、めがねは着脱が自由にできることで可逆性があります。可逆性があることで、人間にダメージを与えることなく、視力を補う度合を自由に調整することができます。構造補強は建設工事でとりつくものなので、さすがにめがねまでの可逆性はありません。しかし、めがねように補強を外せば元通りというのが、文化財建造物の構造補強の理想のかたちです。
このようにめがねと構造補強にはいくつかの共通点を見いだすことができます。ある意味、構造補強はめがねのようなものだと言うこともできるのではないかと思います。
次は逆に考えて、めがねを通して構造補強について考えてみたいと思います。
めがねをかけることによって人の顔は変わります。だからといって、それが仕事や生活における人としての評価を下げるわけではありません。
それと同じように、構造補強を行ったとしても、文化財としての建物の本質的な価値も変わらないのではないしょうか。
たとえば、見える補強が行われた場合、その箇所での意匠性はどうしても損なわれることになります。ただ、その範囲が限定された範囲であれば、それは部分的な問題であって、文化財全体に影響することにはなりません。部分的なものを取り上げて全体の価値を否定することは、あまりにももったいないことだと思います。
また、当たり前のことですが、めがねは人の一部ではありません。レーシックのように、人の一部を改造するのではなく、人を違うもので補っているものです。だからこそ可逆性があるといえます。
それならば、構造補強もめがねと同様に、建物を改造する行為なのではなく、建物を違う物で補足をする行為という考え方はできないでしょうか。文化財に行う構造補強は、文化財の一部を変えることではありません。なぜなら構造補強は文化財にとりついても、それが文化財になることはないからです。めがねが人でないのと同様に、構造補強も文化財とは異なる存在になります。だからこそ、補強に可逆性が求められることになります。
このように構造補強を文化財とはまったく違うものであると認識したとき、補強に対する考え方はとても自由になります。
次回は事例を通して、補強について考えていきたいと思います。
人とめがね