みなさま、こんにちは。
文化財構造計画の冨永です。
梅雨入りしてから一向に雨が降らないと思いきや、新潟や北九州では大豪雨となっています。冠水している状況は、東日本大震災の津波を思い出させます。耐震補強も濁流の力には勝てません。人間の自然の力に対する無力さを感じますね。
今回は、前回に引き続きベルギー・オランダ旅行記の第2回です。
5月1日
きょうからレンタカーで移動。ブリュッセル駅にあるSIXTのレンタカーで受付を行う。店員に「予約した車種はないから。オペルの車でいいか」と言われる。予約した車種がないのはよくあることなのでよい。しかし、よく聞いてみるとマニュアル車だという。マニュアルが運転したくないので、わざわざATで予約したのに。ただ先方は「今はない」の一点張り。ないといわれれば文句をいってもしょうがないし、今更他のレンタカーに行けようはずもない。ただ「受け入れる」の一択である。マニュアル車はたまたま最近試乗車で運転したが、なかなかのエンスト具合だった。外国の地で4日間も走ることになろうとは・・。
今日はメーデーで、ベルギーは休みモードのため、駐車場もがら空きである。そこでしばらく駐車場で練習することにする。クラッチワークを思い出すのだが、半クラッチでバックするのはなかなかきつい。結局、交差点でも何度もエンストをすることになる。本来は、日本とは逆の右ハンドル運転に注意を払う予定であったが、もはやそれどころではなく、マニュアル運転に神経を集中せざるを得なかった。
さて、とにかく進むしかないので、だましだまし運転し、ブレニー炭鉱へ向かう。炭坑跡は公共機関ではなかなか行けない場所にあるので、レンタカーはやはり便利だ。ブリュッセルから1時間強で到着した。
到着の時間の関係でフランス語のガイドツアーに参加することとなった。ツアーはフランス語とドイツ語のみで、英語は手持ちのイヤホンみたいなもので対応となっていた。ここで気になることは、オランダ語のツアーがないこと。ベルギーはオランダ語とフランス語が公用語だが、ここワロン地方はフランス語圏。ドイツが近いのでドイツ語があることはわかるが、同じベルギーの公用語であるオランダ語圏の人は相手にしていないようだ。オランダ語圏のフランドル地方とフランス語圏のワロン地方の中が悪いことは飛行機で読んだベルギー史で知っていたが、やはりこのことは仲の悪さを表しているのだろうか。
ガイドツアーは約2時間で炭坑跡の内部を回る。今回の参加者は20人くらいであった。子供づれとお年寄りが多い。さて、炭鉱は昨年もドイツで2箇所見学したが、今回は地下30mの坑道に降りて内部見学できることが違った。
映像を見た後、当時のエレベーターで下に降りる。エレベータに照明がないため、降りる途中は真っ暗となった。到着し、坑道内に進む。坑道は鉄骨のアーチによって補強され、アーチ間は折板のような鉄材を渡し、壁の崩落を防いでいる。結構なさび具合だったので当時のものかどうかと思っていたが、古写真でも折板の量は少ないが同じような補強が施してあった。
炭坑で使われた掘削や運搬の機械が多く残っており、炭坑時の様子がよく分かる。中でもはつり機などを実際に動かし、機械がどれだけの音量であったかわかるのがよい。ものすごい機械音が坑内で響き渡り、とても話などできたものではない。パネルやマネキンなどの説明よりも機械で音を体験できるのほうが、効果的で印象に残る。自由に歩き回りたい派の私はあまりツアーがあまり好きではないのだが、このような当時の機械を動かして音を聞くなどということは、自由に触らせることができないので、ツアーでしかできない体験である。また、ドイツでも多く見られたが、実物に映像を投射しての説明も多く見られた。光を当てるだけで機械や建物にはダメージを与えないので、文化財には向いている展示である。
ガイドツアーから戻ると次のツアーを待つ人でいっぱいである。さらに食堂にも人がいっぱい。メーデーだからなのだろうか。いったいどこからこんなにくるのであろう。どのような人がどのような動機や興味で見に来ているのか。個人旅行では、なかなかそう言った深い点を聞くことができないのが残念である。